小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

多分...3/4は過ぎた...

 

 

「突然に覚醒した」とか...

「努力の果て」...などではないと思う。

 

単に...「残された時間が少なくなった(年を取ったとも言う)」と自覚する年齢になってきたからこそ...

「あと少しの間の努力ぐらいで報われることがあるものなら....」

という卑しく、しみったれた執着心が顔を出したというところ。

長年に渡る努力が必要と思われた時代なら....

そんなシンドイことに手をつけるはずもない(笑)

 

他の人はどうなのか?知らないが...

自分は「さあ、40年頑張るぞ!」と出来なかったのだ。

長すぎて。

先が見えなくて。

 

が、最後のコーナーを回ったらば...

まあまあに見えてきて....

「そんなにもう遠くないな....もうあと残された直線を走るのみ、ぐらいなのかな?」と。

 

になって、「せめてここからぐらいは頑張ろうか」と、今更に、身勝手な振る舞いを見せているわけだ。

 

もしくは....

いろいろな能力が衰え始めてきて...

これから「出来ること」の減少が実感できるようになってきて....

”逆に”いろいろわかりやすくなってきているのかもしれない。

迷うほどにあれやこれやと出来やしないので(笑)

 

スポーツ中継への興味が激減しているのもそのあたりなんだろう。

自分にゃ...もう関係ない世界のようで。

 

「何のため」なんだかは...自分でもわからない。

ただ...こういう行いを一種の懺悔とみなすならば....

少なくとも一般的な懺悔として神仏に祈っているだけよりは...

「懺悔すべき項目がハッキリして」、具体的に懺悔出来ているようで、ある面妙な着手感がある。

 

自分の醜い部分を新たに発見出来た時なんざ...哀しさよりも...「ヨカッタ気が付いて!」なんて時もあるぐらいだ。

どのみち哀しんだところで過ぎてしまっていることなんだろうし

これから同じ轍を踏まないために「気が付けたのか」....

とまあ...結構自分に都合良く考えている。