「突然に覚醒した」とか...
「努力の果て」...などではないと思う。
単に...「残された時間が少なくなった(年を取ったとも言う)」と自覚する年齢になってきたからこそ...
「あと少しの間の努力ぐらいで報われることがあるものなら....」
という卑しく、しみったれた執着心が顔を出したというところ。
長年に渡る努力が必要と思われた時代なら....
そんなシンドイことに手をつけるはずもない(笑)
他の人はどうなのか?知らないが...
自分は「さあ、40年頑張るぞ!」と出来なかったのだ。
長すぎて。
先が見えなくて。
が、最後のコーナーを回ったらば...
まあまあに見えてきて....
「そんなにもう遠くないな....もうあと残された直線を走るのみ、ぐらいなのかな?」と。
になって、「せめてここからぐらいは頑張ろうか」と、今更に、身勝手な振る舞いを見せているわけだ。
もしくは....
いろいろな能力が衰え始めてきて...
これから「出来ること」の減少が実感できるようになってきて....
”逆に”いろいろわかりやすくなってきているのかもしれない。
迷うほどにあれやこれやと出来やしないので(笑)
スポーツ中継への興味が激減しているのもそのあたりなんだろう。
自分にゃ...もう関係ない世界のようで。
「何のため」なんだかは...自分でもわからない。
ただ...こういう行いを一種の懺悔とみなすならば....
少なくとも一般的な懺悔として神仏に祈っているだけよりは...
「懺悔すべき項目がハッキリして」、具体的に懺悔出来ているようで、ある面妙な着手感がある。
自分の醜い部分を新たに発見出来た時なんざ...哀しさよりも...「ヨカッタ気が付いて!」なんて時もあるぐらいだ。
どのみち哀しんだところで過ぎてしまっていることなんだろうし
これから同じ轍を踏まないために「気が付けたのか」....
とまあ...結構自分に都合良く考えている。