ネットの掲示板やSNSが”有害”のレッテルを貼られて久しい。
まあ「無害」ではないと思うけど...自分自身の人生論というか人間観には”有害”なだけではなく、「一つの解答」も与えてもらったと認識している。
それは...「話し合い」なんかでは世の中「解決しない」ということ。
ましてや互いに「正直」になんてなってしまうなら「争い」に至るのが普通だろ、ということ。
ドラマや映画は主人公がハッキリしているから、真剣に語り合ったりしたときに「解決への道筋」もつかめるのだ。
が、全員主人公のつもりでいる一般社会では「それぞれにとっての理想の解決」があるから...それらばぶつかる。
ぶつからないのは、オモイヤリJAPANなので、どちらかが我慢したとき。
「どちらが折れない限り」解決しない多いから...「裁判」の需要がある。
残念でもなんでもない。
それが現実の人間同士の関係。
「話し合い」で解決するならそれこそ税金であんなにも高給取りの裁判官は雇わない。
”炎上”なんて大袈裟なところに辿り着かなくても、ネット愛好家の人達ならよーく体験しているように、
毎日のように解決しない「本音の対立」が見られる。
ブログ運営の会社は有能で、配信者がコメントを管理できるようにしているのは...
ま、そういうことだ。
もしも「野放し自由に書き込み放題」としているなら...どうなることやら。だ。
この国の理想の「話し合い主義」の頂点は国会か?
話し合いで解決したところを...見たことある?
なのに...純粋無垢で穢れのない人ほど...
「話し合うこと」で「わかりあう」理想を追求する。
「話合ってわかりあえない」場面や相手に強烈に失望する。
「二大政党制を目指そう!」としてから何十年経つ?
むしろ...2つ...どころか増えてんじゃないの?
2つにさえなれないのが人間なのに、「一致する」なんてこと...
「あるわけねーじゃん」
の確率なんだろう。
と思うなら...失望する必要なんて「ない」ことなのだ。
それぐらい...ものすごく「稀有なこと」に期待をしているのだ。
だけに...頻繁に失望するのだ。毎日のように。
「人の声」より「自分のこと」を考えるべきだ。
その「無責任な声」からの失望は、一体自分の、何の、ためになっている?
よーく考えてみりゃ「おかしな風習」なのだ。
親の言うこと聞かない子供を増やしてはいけなかったから?
先生の言うことを聞かない生徒を増やさないように?
邪険に扱われることを恐れた年寄りたちが身を守るために?
「人の話をちゃんと聞かないと...不幸な人生になるよ」と脅されてきた?
その「お話至上主義」風習は情報産業にも台頭して...
「話すこと」で食ってる人達をどれだけ増やしてきたことか...
今や玄人か素人かわからないほどにおびただしい人がまた、「人の話を聞くことは有益なのですよ」「私の話を聞いてくださいね」と言っているのは...
真に受けているアナタのため
ではなく、話している本人が「お金を稼ぐため」ではないのかな?
私が得られた「一つの解答」はそういうところ。
幸い”今”はしっかりしているので簡単に傷ついたり、士気を落としたりの影響は受けてないんだけれども...
自分だっていつの日にそんなことになるやもしれない。
だから...
”人の話”や”本音”なんて...所詮は自分(私)に責任持った人の意見じゃないので...
全く気にすることはないね。
と繰り返している(笑)
そして...そんな環境が現代にはあまりにも多くなっているので...
「自ら耳を塞ぐ時間は必要」
と実践もしている。
その耳を塞いでいる時間は...多分ものすごく自分勝手になっているんだろうけど....
自分の人生は自分が責任取るに決まっているので、どんな時間の過ごし方をしようと別に自分の勝手だろうと(笑)
の方が健康に過ごせると確信している。