そう。決して自主的、能動的な変化じゃなかったと思う。
奇しくも「”ガキ使の年末特番”が始まった頃」からかな?
自分だけじゃない、時代もシラけるようになっていたんだと思う。
「レコ大」と「紅白」の大晦日に。
自分はたまたまに、モーレツに忙しくなり始めた時期。
「12月は一日も休めない」もこの頃から。
それまでは...録画までして...年末年始のテレビも楽しみにしていたのに...
何もかもが忙しいおかげで、玉突きのように大掃除から年滅年始の挨拶まで忙しくなって”仕事始め”に続いてしまう日常も、この頃から。
録画したって「見られない」から録画もしなくなった(笑)
かくしてビデオは家族のモノになって自分の録画権は今は無い(笑)
もう15,6年になる?
テレビの代わりに大したことをやっているわけじゃない。
酒を飲む。
爪を切る。
風呂に入る。
トレーニングをする。
ネットをやる。
メールを見る。
ブログを書く。
写真を撮る。
電話で話す。
仕事をする。
勉強する。
整理整頓する。
掃除する。
本を読む。
....そんなところ...
人から見たらば、ささいなこと、ちっぽけなこと、ばかりだと思う。
ただ...直結しているのだ、自分に。
夢や、理想や、願望や、脳みその中で想像することではなく、「実際に」行動することが伴っている。
自分で自分のために。
歯磨きでさえ、磨けば「自分の歯」が綺麗になるように、自分に効果が、しかも、即現れる。
この中には、ハーフマラソン参加だとか、資格取得だとかもあって、たしかにちょいとばかり特殊で、それなりの努力が必要だったこともあるけど...
そんな瞬発的な効果は...むしろ総じては”薄い”ように感じるぐらい。
テレビを見ないから暇なので...「もう少し工夫してみようかな?」「やってみようかな?」と...
日常生活での...少し字をきれいに書いてみる...ような”ささやか”な意識や、所用は「出来るだけ先送りしない」意識や、「間に合う5分前」には出発する意識等々の
非常に細かな意識の変化も積極的にするようになり...
その「自分に直結する」行動や変化を、継続して、増やし続けて、積み重ねてみると...
今はもう思い出せないほどの数量になっていて...
気が付きゃ、「ガキ使の年末特番」以前の自分とは、ものすごく違う日常になっているのだから...
ある種「別人」のような生活にもなっているのだ(笑)
いや、ホントに笑えてしまうぐらい。
別に...
家族関係を変えようとか、友人関係を変えようとか、そんな大袈裟なこと考えていたわけじゃない。狙ってもいない。
それらどころか、仕事内容すら、激変してしまっているのだ。
残念ながら歳は取ってしまったけれども、その「”ガキ使の年末特番”が始まった頃」以前には、「戻りたくない」と思うぐらいに。
そういうことを改めて確認したかったのだ。
コロナになってあまりにも出番とばかり「テレビがでしゃばってくる」ので。
四方八方から好き勝手な意見を「強く言う」ことだけに熱心で、責任も取らないその言動を、一体真面目に聞く必要があるのかと。
そしてまた、”細かな自分への意識改革”は、あまりにもささいな事過ぎて、獰猛なテレビにはかき消されてしまうので...
ささいな割にはあえての強い意志がないと案外継続できないのだ。(自分だけ?)
時代的にも見事なほどのテレビっ子。
年代そのものがテレビの話で盛り上がれる世代。
が、偶然にもテレビが遮断されたような事態になって「自分のことで目一杯」の生活を送らざるをえなくなってみたらば...
うんと充実した生活を実現できるようになっていたのだ。不思議なことに。
三段論法で言うならば...
ゆえに...
テレビはテレビ、自分は自分
と「強く意識」した方が、結果自分の人生を豊かにする。
と確信すべき。
と言い聞かせている。
プロスポーツ選手になる。
芸能人になる。
芸人になる。
MCになる。
東大に入る。
別に...そんなところにしか「豊かさ」はないわけじゃない。
いや、ついで言うなら...
仮に自分がそういうところを目指していたらば...
「とんでもない不幸」
になっていたと確信する。
それぐらい自分に能力がないことにも”確信”を持てるようになるのだ(笑)
だって...ほんとうに”ささやかなこと”すら、実際にやってみると...なかなか継続できない...のだから。
すれば何の後悔もなく、平凡な人生を楽しめるようになる。
ん?なんか開き直っている?
いいだろう。
後悔を嘆いてばかりいるよりは。