小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

金持ちケンカせず



 

ひょっとしてこれも関係あるかも?と...

「ギャンブル弱し」な自分の原因も探ってみた。

...「見事なほどに躁鬱に反応し過ぎる」からなんだろう。

 

よく例に出す父親はギャンブラーではないものの...

日常生活の感情の浮き沈みはまさにそれで...

ある意味...「ギャンブルの場」は必要ないほど。

 

だからなのか...私がギャンブルをすると...

よくよく振り返ってみたならば...あたかも平常の彼のようなサマになっているのだ。

 

....ギャンブルは嫌いじゃない。

〇〇製紙の御曹司の気持ちとて...わからんじゃない。

が、その精神システムは...まさに躁鬱なのだ。

 

そう...御曹司が言うように...

躁ばっかしじゃあギャンブルにハマらないのだろう。

映画を見て、ドラマを見て、「思いっきり泣きたい人」が居るように...

それは...「ギャンブルで思いっきりヒリヒリしたい」ということにも見事に相似するんじゃないだろうか?

 

私の父の良い時ゃバカ陽気。

何にそんなに浮かれているのか?ぐらいに...

 

が...躁鬱...だったの?

という観点で見直してみるならば...そういや躁ばっかじゃなかったわ。

私が幼い頃にも...彼の母親である祖母に...「泣きわめいて」怒っていたりした...

あれだけ直前には大威張りしていたくせに...

不思議なほどの感情の手のひら返し...

「どうしてそこまで極端に...」

と子供ながらに思ったものだ...

 

私が大人になってからも体験した。

というか...平常モードが「大体そう」なのだ。

 

調子が良い時は、必要以上に舞い上がり...「自分のおかげだ」と得意満面になるくせに...

ほんの少し心配ごとが見つかると...

「全然眠れなかった...」「死にたいぐらいだ」と落ち込むのだ。

 

いや...「落ち込む」というよりも...

「もう自分じゃどうにも出来ないんで...なんとかしてくれないか」とばかりに...無責任に放り投げているのだろう...

 

演技か?と何度も思った。

当然に私以上に大人の親なので。

 

が、「病気」と考えるなら...

妙に納得する。

 

父親は仕事において躁に浸れることはあまなかったようだ。

そこまで仕事熱心じゃなかったからシビレルような”結果”にも巡り合わなかったのだろう。

 

だから...仕事後の趣味や酒や遊びで...躁を求めた。

その痕跡は異常なほどに多い。

ほぼ毎日「午前様」だったのだから...

そして...”それ”を邪魔されたり、忠告でもされるなら...

瞬間的に豹変し激怒したのは...

ある種の自己防衛だったんだろう...

 

今、酒も飲めず、遊びにも出かけられなくなった彼に「躁状態」は訪れなくなって...それがよくわかる。

毎日のように...

「もう死ぬかも...」と母親を嚇しているらしい。

毎日毎日それを聞かされる母親の心境などお構いなしに。

 

ギャンブル中毒症

を私はよくは知らない。

が、日常生活の中にもその病癖は存在するような気がする。

そして父親がそうだということは...

そのDNAもどうやら自分にもあるのだろう...

なんとなくわかる。

 

だから「ギャンブルは苦手」と封印し、その性質が「出てくること」を防いでいるのだ。

 

金持ちが喧嘩しない

のは...

「金儲けに躁鬱感情はご法度」

ということなんだろう。