小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

無理なものは無理




最初は...

”自己分析”や”自己反省”をするブログ...なんかじゃなかったはずなんだけど...

多分「ゴール」を目指す課程で...

「自分を正しく知ること」が必要と感じたんだろう。

”その道”に逸れた...

 

「そういうのは危険だ」というアドバイスをいただいたこともあるけれども...

自分の場合は...「やってみてよかった」と思っている。

 

ブログの履歴を見ると...大体3年ぐらいか?

”自分”や”自分の育った環境”について考察してきた。

 

一般的には「あまり好まれないような性質」も多々持ち合わせているんだが...

開き直るわけじゃないが...「しょうがないじゃない」的なことも多い。

なので、「知った暁は...」むしろ「直す」というよりも「受け止める」「受け入れる」といったカンジ。

 

その一つに「大志を持てない(持てなかった)」というのがある。

これなんかわかりやすい。

 

心を入れ替えて...今更「大志を持ってみた」...ところでどーなる?

「大志を抱えて死んでゆくぞ!」ということなのか?(笑)

 

ならば大志を持てない分せめて...

小志というか...

ささやかな努力目標ぐらいを持って...

の実行ぐらい...はしてみようか...と。

「何か変わるかもしれないので」

 

それが良く言う20年前

もう23年になるんだが...

 

「何か」を始めた時には気が付かなかったんだけれども...

何をどう?変えたらいいのかわからずにも...

ダイエットしたり...

資格取得に挑戦したり...

利き手と逆の手をを使えるようになったりと...

ま、どうでもいいようなことを積み上げてきたならば...

 

案外変わった

 

のだ。

 

少なくとも「やらずに言い訳で誤魔化していた時代」よりは...数段変わった...と思っている。

 

少なくとも20年以上「こんな生活」を送ってきているので...

ある意味「開き直れている」

 

「ささいなこと」でも「努力する」「努力を続ける」ってことは結構大変なのだ。

「別に日常生活の維持に必要ないし」

という錦の御旗を掲げられるなら....

すぐに諦められてしまうぐらい...儚い行為なのだ。

なんせ「必要無い」ので。

 

だから...「目標達成への努力」とはちょと違ったのかな?とか今は思っている。

やっぱり...

努力も「自分サイズの確認のため」の行為なのだ。

 

これだけやっても「こんなもん」...が自分の能力なのか?と...

 

そうくだらない「壮大な夢」なんか追いかけなくなる。

頭の中にも浮かばなくなる。

「実現できるもの」が見えてくる。

「実現できそうなこと」しか考えなくなる。

 

それは...

「夢のない」生活ではないと思っている。

 

むしろ...「夢に手の届く生活」だ。

 

大谷君がクラスメートだったなら...

スポーツ選手なんて「とっくの昔に諦めていたのに」(笑)というのはそういうこと。