小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

ボンドだらけのプラモデル



 

最近「気を付けるようにしていること」に...

「もう一歩進めておこうか?...」的な場面で...「一旦立ち止まるように心がけ”ようと”する」ってことがある。

 

随分まわりくどい言い方なんだが、それが正確なのだから仕方がない。

毎度というわけでもないし、完璧でもない。

自分の本性は逆なので「忘れてしまう」場合も多いし...

 

ただ...以前は...「もう一歩進められそう...」だったなら...

「無理しても絶対に進めよう」としていた。

 

いわゆる...「あと一歩の努力」「もう一押し」「さらなる上積み」...ってところか?

それらは...ないよりもあった方が収穫は多い...と思っていたんだ。自分でも。

 

が、現実の結果は...「必ずしもそうじゃないんじゃないか?」と見直し中なのだ。

 

様々なところにコンピューター化が図られ、東京の電車よろしく「奇跡のダイヤ」で運行出来るようになった。

そこまで大袈裟なものじゃなくても、我々の日常もかつてに比べりゃ「かなりたくさんのこと」が一日で実現出来るようになっている。

つまり、効率化が進んで、時間あたりの収穫や成果はめざましく増量され、「さらに」を望むのであれば...

「もう一歩」「もう一分」「もう一問」の頑張りや意欲が

「人との差」

につながるという”意識”にもなっているのだろう。

 

そうやって自称「頑張っている」は多い。

が、少し見返してみると...「本当にそうなのか?」という場面も結構ありそうなのだ。

 

自分の仕事や所用のこなし方もそう。

一時間に5個の予定のところに6個はいとも簡単に詰め込められそうだし、それをいちいち拒絶していたら、「たくさん」なんて処理できない。

単純に言っても...一つ一つの所用時間が12分から10分と2分短くなるだけなので、「たったそれだけ」の努力なのだ。

 

が、それって...6個の用事全てを...「2分省略した出来映え」にしている...ってことには...「なってないの?」ということ。

 

幼少の頃、プラモデル作りでボンドだらけにしてしまうほど下手だった自分は上手な友達にこう言われた。

「一晩で完成させようとするからボンドの乾いていないうちに他を触ってしまってそうなるんだよ。」

「一日に出来るのは”ボンドのついた手で他をさわらないところまで”しか無理なんだって。」

「そうなると一日の時間は短くても...完成するのに4日とか一週間が必要なんだって。」

「そりゃあ全部つなげてしまうなら一晩でも出来ないこともないだろうけど...それって”きちんと完成したもの”にはならないってこと。」

「なんでもかんでも急ぎゃいいってもんじゃないんじゃない?」

 

自分は「考え方の違い」と思って受け流していたんだけれども...

最近その子言うことがなんだかわかるような気がしてきている。

サボるとか

手を抜く

ってことじゃない。

一つ一つに「ちゃんとした時間をかけないと」...「キチンとした結果」が「出せないこと」が世の中には少なくないということ。

 

特にこの10年。

鬼のように我武者羅に事を進めてきて...

たしかに「たくさんの仕事」はこなしてきた。

見直すことが嫌になるぐらい膨大な量にもなっている。

が、その中に残しているメモの「読めない部分」の多いこと。

自分で書いてきたのに...

もう要らないかもしれないんだけれども...

その膨大に残されている「読めないメモ」って...今じゃ「役に立たないシロモノ」を「量産しただけ」なんじゃない?

 

それゆえに「量産できた」こともあったのだろうけど...

それだから...「ボンドだらけになって完成しているかのような不出来なもの」

も多いんだろう...と。

 

過去をやり直すことは出来ない分

「これから」は少し取り組み方の意識を変えてみようかと

自分でも「ボンドだらけじゃないきれいなプラモデル」作れるのかな?と...