小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

だがそれは考える葦である

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”人生の転機”を神様の選択のせいにするのは卑怯かもしれないけれども....

今回もなんとなくそういうタイミングなのかな?とは思えている。

 

というか....

”神の思し召し”を頻発させるなら....

そういうことは「けっこうある」とも言えてしまう。

 

例えば寝付けない朝に早起きしたままいつもより早くに出勤してみるならば....

毎度に使う電車の事故や交通事故で「ひょっとかしたらば巻き込まれていたかも?」

なんてことは案外ある。

 

毎度お世話になる店が満員で、初めて訪れるような店に入ったらば....

懐かしい人に出会えたとか....

 

自分の人生人のせいにしちゃいけないし、自分で決めていきたいものだけど...

なんだろう...

やっぱりこの世?宇宙全体?から見た時には....

自分一人なんて、所詮この世の一パーツのようなもので....

自分じゃどうしようもコントロールできない力ってのはあると思う。

 

それが神の思し召し....ってことかな?とか...

 

ジョギングを始めた時の変化は....

サボっている自分への...バネ、鞭?叱咤?....

そして....それはまずまず有難い鞭になったと思う。

いや、自分で自分に鞭を打つ習慣がついた(いや、そういう意味ではなくて....)

 

しかしながら....

なんたって....「走る出した」だけで、人生うまく行くなら....

いつの間にか全員走っているはずで....

そんな訳もない。

「走っているだけ」では乗り越えられない壁が....

普通はたくさん出てくるはずだ。

今回なんかもその一部なんだろう。

 

体は確かに....昔よりは使うようにはなったんだけれども....

頭は?

頭はどう?

 

この10年かな?

よく考えさせられるような出来事に襲われるようになったのは。

いや、解決できないうちにも「よく考えなきゃいけないこと」次々と積み重なってしまって....

「考える」という鍛錬の少なかったシワの無い脳みそじゃあ考えきれなくて....

ブログにまで書いてまとめてみるようにまでなった。

 

たしかに....

竹を割ったような性格だとよく言われたりしてきたけれども....

それとて...「何も考えずに生きているような人」であって....

「扱い易い人」

と思われていただけのことかもしれない。

 

原始時代ならともかく

この複雑怪奇な現代社会を

”考えずに”生きているなら....

そりゃあうまくいくはずもない。

笑い話だ。

 

人間は一本の葦にすぎず自然のなかで最も弱いものである。だがそれは考える葦である

という偉大な先人の発見を子孫の能無しが否定していたようなものだ。

そりゃあうまくいくはずがない。

 

そのうまくいかなさ....の極地が2年半前であり....

そこから抜け出すのには、ジョギングだけでは足りなかったということなんだろう....

 

悩むことが嫌だとしても....”考えるしか”なかったということなんだろう....