小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

仕事を楽しく出来るように...するしかない



 

「老後に遊ぶのが楽しみ」はよく聞く話。

「老後」どころか、「"若い時からでも”ずっと遊んで愉快に」暮らしたかった(笑)

結構最近まで実践?もしていたし...

 

が、それがまさかの本ちゃんの老後になって、仕事をリタイヤする同級生が出る歳にもなって、

なのにまさかの...働いている?

しかも、割と本チャンで(笑)

 

「全く想像も、また希望もしていなかった未来」に居るわけだ。

だから...何かの目標やらねらいがあったはずもない。

成り行きだ。

”全くの”成り行き。

 

まあ...思い起こしてみれば...”そこそこには””場面場面で”真剣にやっていたことも少なくはない。

遊びも含めて...

そんな程度...

 

そしたら...自然と「ココに来ていた」ようなもんだ。

あっ、あるわ、一つだけ。

目の前の問題からは「逃げなかった」かな?

解決出来ずに失敗に終わったとしても。

結果恥をかくことになったとしても。

 

それは...父親を見てきたから。

上手に言いくるめて...

うまいこと誤魔化して...

時には姿をくらまして...

その場をしのいだつもりになったきたことは...

全部後から覆いかぶさってくる。

 

「超えられなかった壁」は実はず~っと張り付いていて...

「超えるか」「観念するか」決着をつけないことには...いつまでもは...誤魔化し続けられないのだ。

武勇伝なんてメッキはいつかは剥がれて大恥をかくだけ。

 

そんな「父親のおかげ」で今があるとは思う。

成功よりも正直に「失敗」や「能力不足」を受け入れてきた...つもり。

 

だから...家族の存在は大きいだろうねぇ...

自分が父親を見てきたように...

自分の子供達も自分を見ている。

ちゃんと見えてしまう。

誤魔化せるものじゃないと思っている。

 

となると...「遊ぶ」ったって...どうしてもそこそこ...に収まってしまう。

「自分だけが遊んでいられる」のには限度がある。

逆に言えば...「仕事なら」文句言われないのだ。

 

といったところは大きかったんだと思う。

つまり...楽しい人生にしたかったなら...「仕事に楽しみを見つける」しかなかった...ってことで...

なんだか...良いような悪いような...釈然としないんだが...

ま、「良いことだ」と思い込もう...というところ。