「老後に遊ぶのが楽しみ」はよく聞く話。
「老後」どころか、「"若い時からでも”ずっと遊んで愉快に」暮らしたかった(笑)
結構最近まで実践?もしていたし...
が、それがまさかの本ちゃんの老後になって、仕事をリタイヤする同級生が出る歳にもなって、
なのにまさかの...働いている?
しかも、割と本チャンで(笑)
「全く想像も、また希望もしていなかった未来」に居るわけだ。
だから...何かの目標やらねらいがあったはずもない。
成り行きだ。
”全くの”成り行き。
まあ...思い起こしてみれば...”そこそこには””場面場面で”真剣にやっていたことも少なくはない。
遊びも含めて...
そんな程度...
そしたら...自然と「ココに来ていた」ようなもんだ。
あっ、あるわ、一つだけ。
目の前の問題からは「逃げなかった」かな?
解決出来ずに失敗に終わったとしても。
結果恥をかくことになったとしても。
それは...父親を見てきたから。
上手に言いくるめて...
うまいこと誤魔化して...
時には姿をくらまして...
その場をしのいだつもりになったきたことは...
全部後から覆いかぶさってくる。
「超えられなかった壁」は実はず~っと張り付いていて...
「超えるか」「観念するか」決着をつけないことには...いつまでもは...誤魔化し続けられないのだ。
武勇伝なんてメッキはいつかは剥がれて大恥をかくだけ。
そんな「父親のおかげ」で今があるとは思う。
成功よりも正直に「失敗」や「能力不足」を受け入れてきた...つもり。
だから...家族の存在は大きいだろうねぇ...
自分が父親を見てきたように...
自分の子供達も自分を見ている。
ちゃんと見えてしまう。
誤魔化せるものじゃないと思っている。
となると...「遊ぶ」ったって...どうしてもそこそこ...に収まってしまう。
「自分だけが遊んでいられる」のには限度がある。
逆に言えば...「仕事なら」文句言われないのだ。
といったところは大きかったんだと思う。
つまり...楽しい人生にしたかったなら...「仕事に楽しみを見つける」しかなかった...ってことで...
なんだか...良いような悪いような...釈然としないんだが...
ま、「良いことだ」と思い込もう...というところ。