小舟からⅡ

小舟から...鉄の斧...緊箍児...そして...小舟からⅡ

我慢できるかな?



 


珍しく...短インターバルなんだけど...

少し、忘れないうちに、書いておいた方がよさそうな出来事があったので...

 

近所に歩道とアスファルトの空地が隣接して...恰好のスケボーパークのようになっている場所がある。

もともと通行人も少ない場所であるし、スケボー君たちも出禁を恐れてか、それなりに気を使っていらっしゃるようなので、これまでモメごとを見たことはなかった。

 

が、偶然にもそこを通りかかったおじいさんが、Uターンをしてきたスケボー君に驚いて倒れそうになった。

そのおじいさんは怒りが収まらなかったようで...

「公道でスケボーなんかしてたらイカンだろ!」と怒った。

たしかにUターンしてきた少年は、おじいさんにブツかるほどでもなく、また軽くよける技量はありそうだったので、(ぶつかっていないのに何?)ぐらいは思ったのだろう...

「おじいさんこそ、歩道を自転車で走っていいの?」と言い返した。

 

正直私も最近の道交法律ややこしくて、正しく知らないので...(そういやそうだったかも?)ぐらいは思ったんだが...

怒りのおさまらないおじいさんは...顔を真っ赤にして...誰に文句を言っているのかわからないぐらいの...独り言のような文句を吐き捨てながら立ち去っていった。

 

私が運転する自動車の信号待ちでの出来事だったので...そこまでで私は進まなくてはならなかったんだけど...

正しい法律は知らないものの...

生活のために運転している自転車での公道利用(勝手な見立て)と、あくまでも私的な遊びでの公道利用とでは、許容度は違うような気がするな、とかは思ったんだが...

年齢が近いのはおじいさんの方で...

その振る舞いにはどうしても同情的になってしまうのだ。

 

スケボー少年達が悪いのかもしれない。

そうかもしれないんだけれども...

そのおじいさんの怒りは...どう見ても全然効き目がなかった。

いや、「年寄の言うこと」には是非とも「耳を傾けるべき」だと思うんだけれども...

現実として、車の中からで、はっきり確認できたわけじゃなかったけど...

少年達に目で合図されながら...半笑いされていた

ような気がした...

 

なんとなくわかる。

なんとなく見てきた。

そして...要介護となっている”父親”を自分とてそう見ているのかもしれない。

 

道徳的に思い詰めた話をしたいわけじゃない。

「怒りの恐怖で相手の行動を制限する」のはそりゃあ「良くない」ことだろうけど...

そういや、それが随分と効き目がなくなってきていて...なんか...気が付けば「一人怒っている自分が残されている様」にハっと気が付いた時...

ものすごく恥ずかしくなることが多くなっている。

 

アンガーマネジメントとかすぐ言われる世の中にあって...

「怒りの効力」なんて一つもないと言われるのだろうけど...

かろうじて効き目のあった「熱血」とか「熱心さ」とか「真剣さ」とか「生真面目さ」とかさえも...

「薄ら笑い」されてしまうようになったのは...

時代...なんだろうか...

年齢...なんだろうか...

 

施設入所で通帳を見られない父親は、母親に持ってこさせて点検するのが日常作業になっている。

母親とて一人で住処を守っているので、そりゃあ必要なものぐらい買うだろう。

その出費を見つけて父親は...

「ワシにことわりもなくどうしてこんなものを買ってるんだ!」と普通通り怒った。

 

帰路母親は...

「なんだかアホらしくなったんで...世話するのも半分ぐらい減らそうかな...」とつぶやいていた...

 

「怒る」ということが、すでに自分に徳をもたらす世の中ではないのだろうけど...

歳を重ねるほどに、その裁定にも厳しいものがある気がする。

 

自分はこの父親の実子だけに...

怒りやすい気質...そして怒ることが解決の道...であるかのような”本性”がある。

人より十分に”多く”ある...

 

別にそれはあえて修復しなくてもいいことなのかもしれないけれども...

そうしてしまうと...今後の人生が辛いものになることも...見えてきた...気がする。